全国豆腐品評会東北大会「とうふサミット」最優秀賞。父から継いだ豆冨づくりにかける想い。<叶や豆冨>
こんにちは!奥州棚倉商店の大椙広です!
メンバーのみんなには 「ひろし〜」 とよく呼ばれています、以後お見知り置きを。
暑い夏にはひややっこで冷たいとうふ、寒い冬にも鍋に入れた豆腐であったまれますよね~
でもご存知でしたでしょうか、実は不思議と暑すぎると豆腐は売れないんです。
何事も程ほどがよろしと感じる今日頃ごろです。
それはさておき、ずいぶん寒くなってきたのですが、今日は冷やしてそのまま美味しい叶やイチオシの「青豆寄せ豆腐」のストーリーをお伝えしたいと思います。
地元福島民報さんに掲載頂いたサロンになります。豆冨作りの思いを感じて頂ければ幸いです。
以下サロン本文
「最優秀賞、青豆寄せ豆腐、おおまさ食品」。とうほく元気とうふサミットの会場に司会者の声が響いた。
似た名前の会社があるものだなと思い、表彰されるのはどんな豆腐職人かと楽しみにしていたが、誰も登壇しない。
周囲がざわつき始める。主催者側にも困惑の表情が浮かぶ。はて、もしや「おおすぎ」の間違いではないか。
いや、そんなはずはない。うまいという自信はあったが、いきなり最優秀賞を頂けるはずがない。
迷いに迷ったが、表彰状を覗きに行ってみた。あぁ、うちだ。「すみません、おおまさではなく、おおすぎって読むんです」。
一昨年に仙台市で開かれた全国豆腐品評会東北大会「とうふサミット」での一場面だ。右も左もわからず家業に飛び込んだ直後だった。
業界の知識が乏しいのは逆に強みとなり、どこにでも顔を突っ込むことができた。
「叶や豆冨」大椙食品は棚倉町にある小さな豆腐屋だ。一九〇一(明治三十四年)年に初代大椙長次がおけ売りの豆腐屋として創業した。
一九八九(平成元年)年に法人化し現在、五代目として私が継承している。
前職は県内の百貨店社員で、衣料品販売やマネジメントを手掛けていた。
家業とはいえ、豆腐屋はなかなか大変だと継いでから実感した。
夜明け前の澄んだ空気の中、前日に洗い浸した大豆を粉砕し、水と混ぜる。窯に移し煮込む。甘い大豆の香りが工場全体に広がる。
程よいタイミングで絞りにかけ、おからと豆乳に分ける。肌色より少し明るく温かい豆乳に、冷めないうちににがりを混ぜる。
つらかったのは冬の寒さだ。最も冷え込む時間帯に起床して作業するため、寒さが一段と身に染みる。
そして、何より腹が立つのは、豆腐がうまく固まらなかったとき。一ケース丸ごと廃棄になるとともに、自身の技術の足りなさが露呈する。
居たたまれない気持ちになる。凝固の具合は季節によって異なるので、悪戦苦闘の日々が続いた。
豆腐製造が板についてくると、他の豆腐屋のことがきになり始めた。どのように日々、困難に立ち向かっているのだろうか。
業界には横の繋がりがほとんどない。苦労や将来について語り合える仲間はいないものか。
そう考えていた頃、宮城県の同業者から東北全体の品評会があるので出てみないかと誘っていただいた。
「会社も休めて豆腐屋仲間もできて、仙台で酒が飲める」と、うきうきしながら出向いたのがとうふサミットだった。
品評会への参加は初めて。我が社イチオシの「青豆寄せ豆腐」を出品した。
亡き先代が豆腐の付加価値を高め、地位向上を図りたいとの思いから約十年前に開発した商品だ。
鮮やかな色を出す県内産青大豆と爽やかな甘みが特徴の岩手県産秘伝大豆を使用し、瀬戸内海由来の水にがりで寄せた逸品だと自負している。
受賞は想定していなかった。この時期は仕事をする上で結果や答えが見いだせず、迷いを抱えていた。
先代が熱意を持って完成させた商品の受賞は、心の中に漂っていた霧のようなモヤモヤを消し去り、未来への道のりをすっきりと照らすすてきな出来事となった。